この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第二百十二話「恐怖と悲しみ」

time 2017/04/03

第二百十二話「恐怖と悲しみ」

 いつまで俺は正座を続ければ良いんだろうか。この女の子の一人暮らしには最適な小さな部屋に、俺と、ミカと、そしてサエコの三人がいるのは、何故だろう。誰がどう見ても、俺は絶体絶命の大ピンチの真っただ中にいるんだけど、どういうわけか俺自身はとても冷静だ。いや、俺にはどうしようもない状況に追い込まれいて、自分からは何のアクションも起こせないから、じっと静かに嵐が過ぎるのを待つ以外に選択肢がないだけだ。

「いつからのお付き合いなんですか?」
「二年くらい前からです。」
「どこでお会いになられたんですか?」
「道でナンパされました。」
「この男が結婚しているってご存知でしたか?」
「はい、初めから聞いていました。」

 もう嘘をついても仕方がない状況であることは分かるけど、ミカは真面目に答えすぎだ。自宅に戻って二人で話をしようと、既に三回くらい言ってみたけど、「ここで話をしても良いですよね?」とサエコが聞き、「ええ、構いません。」とミカが答え、俺の意見が採用されることはなかった。

「この男のことを本気で愛してるんですか?」
「はい。」
「この男と一緒になりたいと思ってますか?」
「いえ、そういうのは特には。」
「ただの浮気相手としてのお付き合いですか?」
「はい、お互いにそのつもりだと思います。」

 まるで弁護士と被告人のやりとりのような、無機質な会話が続いている。どちらも声を荒げることなく、サエコが淡々と質問をして、ミカは淀みなくそれに答える。たまにサエコが俺の方に視線を向けるんだけど、聞くべきことなど何もないと言わんばかりに、俺を蔑んだ目で見つめるだけで、何も言葉を発さずに、そして、ずぐにミカに視線を戻す。

「ミカさんのお考えは分かりました。」
「はい。」
「こんな素敵な女性が、こんな男を好きになるなんて、びっくりしたくらいです。」
「いえいえ。はい。」
「今後、どうされるおつもりですか?」
「別れるしかないと思います。」
「そうですか。」

 ミカとの話し合いを終えたサエコは、俺の方を一度も見ずに、そのまま部屋を出て行った。開け放たれたままになっていたドアを閉め、ミカが大きな溜め息をついた。それから五分、十分、二人の会話は無く、ただ時が過ぎた。もしかしたら再び、サエコが戻ってくるのではないかという恐怖で、俺は正座を崩せずに、ただ俯いていた。

「お仕舞ですね。」
「うん。」
「いままでありがとうございました。」
「うん。」
「早く帰った方がいいよ。」
「そやな。」

 身なりを整えて、カバンを持ち、最後に一度だけ抱きしめようと思ったけど、ミカは俺から逃げるように洗面台の方へ行き、水色の歯ブラシを持ってきて、俺に手渡した。それから、テーブルの上に置いてあるGPSを指さして、「これは、どうする?」と聞くので、「そんなもん捨てといて。」と言いかけたけど、捨てたら怒られそうなので、カバンのサイドポケットの元の場所に入れた。

「ほな。」
「じゃあね。」
「元気でな。」
「うん。」

 俺が人生で最も愛した女との別れが、こんな風に突然に、何の前触れもなく来るとは、まだ十分に自覚できない。さっきまではサエコの恐怖ばかりで頭がいっぱいだったけど、急にミカと別れなければならないという悲しみがこみ上げてきた。ああ、ホンマに別れたくないねん。でも、今はそんなことを言ってる場合じゃない。それくらい俺も分かってる。でも、ホンマに嫌や。別れなくても良い方法って、何か無いかな。まぁ、無いわな。そんなことより、サエコとは、どうやって接したらええねん。もう分かれへんわ。

「ただいま。」
「何しに帰って来たん。」
「俺の家は、ここだけやから。」
「あっそ。」
「うん。」


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