この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第百七十七話「最優先」

time 2017/01/30

第百七十七話「最優先」

 ミカと電話している間、サエコは俺の顔をずっと見つめていて、俺が何かを発するたびに「よっ!部長」と囁くような声で、俺に声援を送っていた。あんな状況では、どれだけ嬉しくても気持ちのままを声に出すことは出来なかった。ちゃんと説明したら、きっとミカも分かってくれるはずだ。あの後、急いでトイレに駆け込んで送ったメッセージの返信も、まだ来てないけど。ミカ、かなり怒ってるんやろな。

「この書類は、こことここに記入してください。」
「はい。」
「あと、ハンコもお願いします。」
「はい。」
「用意してもらいたい書類は、ここに書いてあります。」
「はい。」

 昨日、会長が言っていた弁護士の先生が、会社設立のための書類を持ってきて、事細かに説明をしてくれるんだけど、ミカのことばかり考えていて、全く頭に入って来ない。とりあえず、指示される通りに書類に記入したり、ハンコを押したりするけど、自分が今、何の書類に記入しているのかも良く理解できていない。

「ほな、用意するものが揃ったら、連絡ください。」
「はい。」
「社名は、株式会社リバティで良いんですね?」
「はい。」
「今日は、これで失礼します。」
「はい。」

 こんな苦しい思いから今すぐに解放されて自由になりたいという願いを込めて、自分の個人会社の名前を「株式会社リバティ」にした。ペーペーのアルバイトとして働き始めて、一度は自分の店を持ったのに出戻ってきて、ついには部長にまで昇格させてもらって、こんなに嬉しいことはないんだけど、そんなことよりミカからの返信が来おへんやん。

「これからは何て呼べば良いんですか?」
「え、吉田、何が?」
「田附店長ですか?田附部長ですか?」
「どっちやろな?」
「どっちですかね。」
「部長にしよか?」
「分かりました。」
「あと、それから、別件なんですけど。」
「うん、何?・・・あ、ちょっと待って!」

 携帯電話がブルっと振動して、ミカからのメッセージが届いた。普段なら仕事の方を優先して、吉田との会話を終わらせてから内容を確認するんだけど、もう我慢できない。慌ててメッセージを開いてみると、画面全体を文字が埋め尽くしていて、さらにスクロールしても長文が続いている。

「吉田、ごめん。」
「はい?」
「別件、あとでもええかな?」
「ええ、急ぎじゃないですから。」
「ごめんな。」

 まず、せっかく付き合いたいと思ったから電話したのに、そっけない返事をされて悲しい思いをしたという文句。それから、自分とデートしたときには、自分の目の前でサエコと電話で堂々と話をしていたのに、どうして自分の電話には、ちゃんと答えてくれないんだという文句。でも、自分は奥さんがいるのを分かっていて付き合ってるんだから、それくらいは理解しなきゃいけないのかもしれないという葛藤。だから、夜遅くにメッセージではなく、電話をかけた自分も悪かったかもしれないという反省。とはいえ、やっぱりあの冷たい対応は、あまりにも酷いんじゃないかという文句。とにかく思っていることを全部さらけ出したような文章が延々と続いて、最後の最後に「明後日の夜、会えるかな?」と、お誘いの言葉。

「よっしゃー!」

 フロントにいた吉田が、驚いて「部長、どうしたんですか?」と聞きに来るぐらいの大きな声で、思いっきり叫んでしまった。正直、もうミカとは会えないんじゃないかとさえ思っていたから、とにかく嬉しい。よっしゃー、また、ミカと会える。

 急いで「返信くれてありがとう。嬉しい。もちろん、会えるよ。予定があっても、ミカが最優先やで。」と返信する。今度はミカからもスグに返信が来て「長い文章を送っちゃって、ごめんなさい。明後日、楽しみにしてます。」と、少し気持ちが落ち着いた様子だ。さらに何か返すべきか考えながら、携帯電話の画面を眺めていたら、会長からの着信が入った。

「おはようございます、会長。」
「おう、おはよう。」
「先ほど、山本先生に来ていただきました。」
「ちゃんと書類を用意せえよ。」
「はい、早めに用意するようにします。」
「それでなぁ、田附。」
「はい。」
「明後日から、すすきの視察に行くぞ。」
「え、俺もですか?」
「当たり前やろ!一緒に行くから連絡してんねん!」
「明後日・・・ですか?」
「そや!ほな!」


sponsored link

down

コメントする