この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第百七十二話「診察室」

time 2017/01/23

第百七十二話「診察室」

神戸から京都まで高速道路をぶっ飛ばし、ミカをマンションに送り届けてから自宅に辿り着いた頃には、すでに朝六時を過ぎていた。祇園のクラブなどで盛り上がって、この時間くらいに帰宅することも数カ月に一度はあるから、さほど珍しいことでもない。

とはいえ、土曜日の朝に具合悪そうに病院へ出掛けた旦那が、日曜日の早朝に帰宅するなんて、これはいったいどういうことなのだろう。どんなことが起こったら、こういう結果になるんだろう。いや、どうやって言い訳したら、サエコは納得してくれるんだろう。

「ただいま。」

 サエコは予想通り、リビングで俺の帰りを待ち構えていた。でも、俺の弱々しい「ただいま。」には一切の反応を示さず、ただ俺の方に向けて首を動かしただけで、俺の次のひと言を待っている。

「ごめん、ごめん。」

 俺の第二声にも、何ら反応を示さない。もしかしたら「どないしたん?」程度の言葉が返ってくるのではないかと期待していたけど、サエコの口は、一切動く気配がない。俺は仕方なくサエコの隣に座って、神戸のホテルから自宅に辿り着くまでに思いついた数々の言い訳の中で、最も筋が通っていると思えるものを発する。

「点滴してたら寝てもうてん。」
「はぁ?」

 どれだけ考えたところで、この状況を打破できるような素晴らしい言い訳なんて見つかるわけがない。自分の言葉には責任を持たなければならないのが大人だけど、さすがに「点滴してたら寝てもうてん。」は、弱い。あまりに弱い言い訳だけど、言ってしまったからには、これで押し通すしか選択肢はない。

「検査のあと、点滴してもらってん。」
「で?」
「そのまま、寝てもうた。」
「どこで?」
「病院で。」
「誰も起こしてくれへんかったん?」
「うん。」
「病院のどこで寝てたん?」
「診察室。」
「ずっと診察室で、寝てたん?」
「そう。」

 このままではサエコからの質問攻めに遭って、俺の弱々しい言い訳など、簡単に崩壊してしまう。だから俺は、さっき座ったばかりのソファから離脱して、背中に浴びせられるサエコからの質問には答えず、「まだボーっとするから、ちょっと横になるわ。」という病人の伝家の宝刀を抜いて、リビングから逃げ出した。

 診察室で点滴を受けた外来の患者を、目が覚めるまで放置してくれるような病院なんて、あるわけがない。でも、あれ以外の言い訳なんて、何も思い浮かばなかったんだから、仕方がなかった。神戸のホテルで十分な睡眠をとった俺は、ベッドに入ったものの全く眠れず、自分の創り上げた言い訳の出来ばえの悪さを反省し、サエコが寝室に入ってきて質問攻めを継続する恐怖に怯えるしかなかった。

「ちょっと店に行ってくるわ。」
「あっそ。」
「今日は早めに帰ってくるわ。」
「そうなんや。」
「いってきます。」

 玄関から一歩、足を踏み出した途端、あまりの解放感に大声を出しそうになった。しばらくは夜遊びを控えて、大人しくしておこう。そもそも、普通に仕事に行くと言えばいいものを、病院に行くと言って出掛けたのが間違いだった。次からは、余計なことを言わずに、ただ普段通りに出掛けることにしよう。

「おはよう。」
「店長、おはようございます。」
「なんか変わったこと、無かった?」
「昨日、石川店長が来られましたよ。」
「あ、そうなんや。」

 石川店長が来る用事なんて、普段から大したことではないから、特に気にする必要もない。俺がいなくても店が通常通りに営業していることに安心したので、携帯電話を取り出して「昨日は楽しかった。ありがとう。」と、ミカにメッセージを送る。すぐにミカからも「長距離のドライブありがとうございました。美味しいお寿司、美味しい中華、ごちそうさまでした。また、お昼のデートしようね。」と返信が来た。

 次からは、余計なことを言わずに、ただ普段通りに出掛ける。これだけを頭に刻み込んで、俺は普段の生活に復帰した。


sponsored link

down

コメントする