この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第百十七話「味噌」

time 2016/07/07

第百十七話「味噌」

 朝十時ごろに目覚めて、リビングに行くと、サエコから「何か食べる?」と声がかかる。カオルコが産まれてから一年と数か月が経ち、母親として余裕が出来たのか、俺のことも気遣ってくれるようになった。昨日も、深夜まで飲んでたから、まだ昨日の酒が残っている。

「あっつい味噌汁が、飲みたいわ。」
「分かった。ちょっと待ってて。」
「具は、そんなに要らんから、あつい汁が飲みたいねん。」
「分かった、分かった。任して!」
「シャワー浴びて来るわ。」

 俺は、思いっきり働いて、思いっきり休むタイプやから、仕事と仕事の間には、必ず長期の休みが必要だ。だから、今の無職の状態にも、俺は何とも思ってないんだけど、サエコは感じているんだろう。自分のことには不安は無いけど、サエコがどう考えているかは、少し不安になる。

「はい、お味噌汁、出来ましたよ。」
「ありがとう。」
「具が少ないから、ちょっと貧乏くさいけど。」
「え、うちは貧乏ちゃうで。」
「具が少ないからって言うたやん。」
「俺、貧乏が嫌いやねん。」
「わたしも、嫌いやわ。」
「それやったら、具を多めにしてや。」
「ヒロキが、具は要らんって言うたんやん。」
「あ、そうなん?」

 頭のなかでモヤモヤとしていることがあると、些細な出来事や言葉に対して、過剰に反応してしまうことがある。サエコに経済的な不安を抱かせてないかと心配していたから、“貧乏”という言葉に過剰反応してしまった。これは、良くない。

 仕事をしていないと、頭が鈍ってくる感覚もある。たまには脳ミソを刺激してあげないと、このまま腐ってしまうかもしれない。遊んでるみたいに楽しそうに仕事をしていると言われるけど、やっぱり仕事には適度な緊張感があって、しっかりと頭を使っているんだろう。

「脳ミソ、使わんとアカンわ。」
「え?味、うすい?」
「はぁ?」
「味噌は、ケチらんと入れたつもりやけど。」
「あ、違う。独り言や。」
「うち、貧乏ちゃうから。」
「貧乏の話は、もうええねん。」
「あ、そうですか。」

 ずっと同じ屋根の下で暮らしていると、楽しいことよりも、煩わしさの方が増えてくるように思う。独身なら、好き勝手できることでも、嫁や子供がいると、そうはいかない。もちろん、家事のほとんどはサエコがやってくれているし、カオルコの顔を見れば、心が穏やかになる。とはいえ、やはり煩わしい。

「わたし、買い物に行ってくるけど、何か要るモンある?」
「別に。」
「分かった。ちょっと行ってくるわ。」

 本当は「“ちょっと”と言わず、“ずっと”でも、ええよ!」と言おうかと思ったけど、余計な波風を立てたくないから、心のなかに留めた。

 サエコが玄関を出た音を聞いてから、ソファで寝ているカオルコに薄手のブランケットをかけてあげて、隣に座る。そして、携帯電話を取り出して、日課となっている男の出会い専門の掲示板を訪れ、ひと通りの書き込みに目を通す。さすがに、サエコに見つかったら、めっちゃドン引きされるだろうから、そこは細心の注意を払っている。

「カオルコちゃん、お母さんには言ったらダメですよー。」
「お父さんと二人の内緒ですからねー。」

 掲示板で、今夜の彼氏を見つけて、心がウキウキしてきた。興奮でじっとしていられないから、カオルコを抱え上げて、「たかい、たかーい」と叫ぶ。カオルコが、キャッキャと声を出して笑う。俺もニコニコと満面の笑みで、キャッキャと声を出して笑いたい気分だ。

「ただいま。」
「えらい遅かったやん。“ちょっと”って言うたのに。」
「わたしが居らん方が、気楽でええんやろ?」
「そんなことないって、サエコちゃん。」
「ずっと出掛けてたらええのにって思ってたくせに。」

 この女、恐ろしい。俺のことを理解してくれているんだと思えば嬉しいんだけど、心の中まで見通されているようで、たまにゾッとすることがある。

「ヒロキは夕飯、外で食べるんやろ?」
「そうそう、待ち合わせが入ってるから、外やな。」
「今日は、どこ行くん?」
「えーっと、たぶん祇園で何軒かハシゴしてから、真っ直ぐ帰るわ。」
「ご主人様、“真っ直ぐ”の使い方、間違ってますよ。」


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