この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第八十四話「大先輩」

time 2016/02/16

第八十四話「大先輩」
 吉江からサインして欲しい書類があるからと言われて、木屋町の喫茶店で待ち合わせをした。本当に一箇所だけ署名をする必要があったけど、要件は十秒で済んだから、折角だしル・シャネルに顔を出そうかという流れになった。こいつ、どう考えても、ハナからキャバクラに行くつもりやったやろ。
 
「山崎先生に任せといたら、大丈夫ですから。」
「もう早く営業したいわ。」
「俺も、楽しみにしてます。」
「ありがとう。」
「なにせ、ピンクの欲望王の店ですからね。」

 もう、いちいちツッコミを入れるのも面倒くさいから、そそくさと店内に入っていく。既に別の客の席についているサエコを右目の目尻で確認しながら、いつも通りの奥の席に通される。ここまではスムーズだったけど、しばらく待っても酒が運ばれてこない。女の子も来ない。

 しびれを切らした吉江が、大声で「すみません!」とボーイを呼ぶ。さっきから俺たちに背を向けて立っていた細身のボーイが振り向いて、駆け寄ってくる。自分では大した仕事をしないくせに他人には厳しい吉江が「待たせるんやったら、もう来えへんぞ。」とお怒りだ。いやいや、お前、この店で一銭も払ったことないやん。
 
「吉江、お前、言い過ぎやって。」
「でも、ヒロ兄を待たせるって。」
「ええやんか。忙しいんやろ。」
「そうやろうけど。」
「急いでないんで、忘れんとお願いします、山下さん。」
 
 なんとなく後ろ姿を見て、もしかしたらと思っていたけど、吉江がテーブルに呼びつけて怒っていたのは、俺がピチピチホームに入店した時に、店の色んな事を教えてくれたり、西城のオッサンに怒鳴られて凹んでいる俺を気遣ってくれた、あの山下さんだった。どういう流れで、この店のボーイとして勤務することになったのか分からないけど、この四年くらいの間、あまり恵まれない人生を歩んでいたんだろうということだけは想像がついた。
 
「あ、田附くん。」
「お久しぶりです。」
「店長になったって聞いたで。」
「あ、いや、もう辞めました。」
「え、そうなんや。」
 
 本当は、西城のオッサンの最後とか、山下さんと話をしたいことが幾つかあるんだけど、新人の山下さんには、客の席につく余裕がないし、店側もおもしろく思わないだろう。前から根暗なひとだったけど、顔がやつれたのか、単純に歳をとったのか、山下さんからは生気が感じられず、少し寂しい気持ちになった。
 
「あのボーイ、知り合いなんですか?」
「俺の大先輩や。」
「ピンクの欲望王の大先輩ですか。」
「だから、なんやねん、それ。」
 
 やっとサエコが席に来たけど、もう酔っぱらってる。まだ九時にもなってないのに、飛ばし過ぎやで。それでも、まだ頭は回るようで、店の対応の不手際を、自分のミスかのように頭を下げて謝っている。普通、売れっ子のキャバ嬢だと、ボーイを呼びつけて説教したり、偉そうな態度をとるもんだけど、そういう傲慢さをサエコは持ち合わせていない。やっぱりサエコは、ええ女や。一回でええから、やらせて。
 
「田附さん、さきほどは、誠にすみませんでした。」
「ちょっと山下さん、田附くんで良いですよ。」
「いえ、当店のVIPのお客さまですから。」
「いやいや、ほんまやめてください。」
「田附さん、今は何をされてるんですか?」
「ピンサロの経営をやってます。」
「え、自分でですか?」
「ま、まぁ。」
「そうなんですか。すごい。」
「いや、まだ準備中で。」
「なんて言う名前の店ですか?」
 
 そうだ、忘れていた。山崎先生から、早く店の名前を決めろと言われていたけど、俺、あんまり店の名前にこだわりが無いから、なんか決められへんねん。

 

「ヒロ兄、もう、ピンクの欲望王でええやん。」
「え?店の名前?」
「そうそう。」
「なんか、ダサない?」
「そうかなぁ。」
 
 正直、吉江に言われるがままに、ピンサロ「ピンクの欲望王」でも良いかとも思ったけど、自己紹介するときに「ピンクの欲望王の田附です。」って言ってる自分を想像すると恥ずかしくて、思いとどまった。とはいえ、もう、勢いで決めてしまいたい。
 
「吉江の意見を採用するわ。」
「ほんまに?ピンクの欲望王?」
「いや、“ピンクデザイア”にするわ。ピンクの欲望。」

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山本信幸
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※この物語は、主人公の回想に基づき、だいたい8割くらい真実のフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません!とは言い切れません。

※夜の連続ブログ小説ということで、毎週月曜日から金曜日の夜8時(日本時間)に、最新話をアップいたします。毎晩読んでいただくのもよし、ある程度まとめて読んでいただくもよし、ご自由にお楽しみください。
 

 


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