この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第七十四話「背中」

time 2016/02/03

第七十四話「背中」
 今日も朝からシズエが病室に来てくれている。すでに俺の入院生活は、一ヶ月と八日目を迎えた。時折、激しい頭痛や吐き気、腹痛などに襲われるけど、精密検査を受けても、身体には特に異常は見つからず、精神的な疲労が原因ではないかと、医者からも明確な病名が告げられない。

「仕事のことは考えないようにしないとね、ヒロくん。」
「そうやな。頭を休めんとな。」
「私が付きっきりで看病してるんやから、早く良くなってよね。」

 弟からは、俺の体調が回復しないのは、シズエのせいだと言われたけど、わざわざ毎日毎日、俺のために病院に通ってくれている姿を見ると、素直に弟の話を飲み込めない。いや、逆に、シズエがいなければ寂しくて病院から逃げ出していたのではないかとさえ思う。入院当初は、多くの友人たちが見舞いに来てくれたけど、さすがにこんなに長期の入院になると、みんな面倒になったのか、顔を見せてくれるのは僅かに限られた奴らだけだ。

 そういえば、スキャンダルに一緒に通ってた斉藤も、一回だけ見舞いに来て、それからは全然、姿を見せへんやん。マリリンちゃんとか、イブちゃんとか、シェリーちゃんとか、みんな元気かなぁ。早く元気になって、またスキャンダルに行きたいわ。

「背中がかぶれて、めっちゃ痒いわ。」
「ちょっと待ってな、看護婦さんを呼んであげるから。」
「あとで、ええで。」
「そういうのは、すぐに言うた方がええの。病院やもん。」

 こういう時、女のほうが遠慮がなくて良い。男は、なんとなく気を使って、小さな用事でナースコールをするのを躊躇ってしまう。高い保険料を払ってたおかげで、個室に入れてるし、もっと病院のサービスを使ったほうが良いんやろな。

「田附さーん、どうされました?」
「ヒロくん、背中が痒いみたいなんですよ。」
「ちょっと見せて貰えますか。」

 ほら、やっぱりなんか申し訳ないやん。ただ痒いっていうだけで、飛んできて貰って、心配そうな表情をした看護婦さんが、俺の背中を見てくれるんやで。

「田附さん、ここですかね?痒いの。」
「あ、そうです。」
「ここの傷跡のところが、赤くなってますねぇ。」
「そうですか。」
「この傷、どうされたんですか?」

 俺、ほんまに頭がおかしくなってたんや。今、気付いた。俺の背中の傷は、シズエに包丁で刺されたものだ。自傷行為を繰り返すシズエに飽き飽きして、血だまりにも無関心になってしまったころ、左手首から血を流しながら、右手に包丁を握り締めたシズエに、家のなかを追い掛け回された記憶が蘇った。俺、なんでこんなこと忘れてたんや。

「あ、それ、ヒロくんが職場で滑って転んだ時の傷です。」
「そうなんですね。」
「ほんま、おっちょこちょいやから、うちの旦那。」
「もう、気をつけてくださいね。」
「はい、私がちゃんと躾ますから、大丈夫です。」

 シズエと看護婦さんがニコやかに会話している病室のベッドの上で、急に全身が震え始めたところまでしか覚えていない。時計を見ると、二十二時過ぎ。もう面会時間を過ぎているから、シズエは帰ったのだろう。真っ暗な病室に、俺ひとり。なんかめっちゃ怖い。

 ベッドの脇のキャスターから小銭の入った財布を取り出して、病室を出る。ナースセンターの脇にある公衆電話から、ピチピチホームに電話をかける。この番号だけは覚えている。本当は、佐伯専務の携帯電話の番号も頭に入っているけど、今の精神状態では、専務とは話ができる気がしない。

「はい、ファッションヘルス、ピチピチホームです。」
「なんか元気ないなぁ。」
「はい?どちら様ですか?」
「田附や!」
「て、店長ですか?もう大丈夫なんですか?」

 久しぶりに店長って呼ばれて、ちょっと嬉しい。俺はまだ、ピチピチホームの店長なんや。電話に出たのは、こないだまで大学生でアルバイトとして働いていた角谷。せっかく立命館大学を卒業したのに、うちで働きたいと言うから、俺が社員にしてやった変な奴だ。

「お前、全然、見舞いに来えへんやん。」
「え?面会謝絶でしょ?」
「はぁ?」
「仕事のこととか考えたら精神が不安定になるからって。」
「何を言うてんねん、お前。」
「だって、佐伯専務が、今は休ませたれって言うてはりました。」
「ええ、そうなん?」
「はい、店長の奥さんから、そう連絡が来たって。」

 なんて返せば良いのか分からず、無言のまま、受話器を置いた。目からは涙が溢れる。どういうことやねん。ほんま、どういうことやねん。俺の泣き声、いや、うめき声で、目が覚めてしまった入院患者の皆さん、ごめんなさい。でもな、もう俺、アカンかもしれん。ほんまに、ごめんなさい。

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※この物語は、主人公の回想に基づき、だいたい8割くらい真実のフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません!とは言い切れません。

※夜の連続ブログ小説ということで、毎週月曜日から金曜日の夜8時(日本時間)に、最新話をアップいたします。毎晩読んでいただくのもよし、ある程度まとめて読んでいただくもよし、ご自由にお楽しみください。
 

 


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