この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第六十七話「床」

time 2016/01/25

第六十七話「床」
 祇園の朝、まだ七時にもなっていないのに、なんだか蒸し暑い。今日も暑くなりそうだ。でも、二日連続の徹夜で、会長の罵声を夜通し浴び続けて迎える朝は、暑さや寒さが感じられないほどに、身体の全ての英気が失われたような、まさに放心状態だ。普段から決して口数が多くない佐伯専務と、無言のままに別れた。

「好きにしてください。って何やねん!」
「すみませんでした、会長。俺の教育不足です。」
「佐伯、お前はええねん。黙っといてくれ。」

 昨日の夕方、会長の行きつけの祇園のクラブで二人、会長を待ち受け、ソファーに腰を下ろした瞬間から始まった会長の説教は、専務の仲裁の甲斐なく、延々と続いた。途中から内藤さんも店に入ってきたけど、「今晩は田附か。」と安心した表情を浮かべて、ボックス席の隅の方で、静かに飲んでいた。

 正直、店長というポジションになっても、これまでのマネージャーの仕事と大した違いはないと感じていた俺にとって、今回の出来事は、良い教訓になった。一方的に怒られているのも勿体無いから、この機会にと、店長としてやるべきことや、勉強するべきことについて、会長からのアドバイスも貰った。まぁ、九十九パーセントの時間は、とにかく「好きにしてください。」の件について、怒られていたんだけど。

 昨日の朝は、一度、自宅に戻ったけど、またシズエからの電話が来そうだと怖気づいて、祇園から直接、ピチピチホームに向かう。朝のゴミ置き場を漁るホームレスを見ながら、バブル崩壊後の不況が、依然として続いていることを感じる。

「ちょっと、それは、ゴミちゃうで。」
「あ、ごめん、ごめん。」

 ファッションヘルスでは、精子まみれのタオルの洗濯を、専門の業者に委託している。前日分のタオルをズタ袋のような業者指定の大きな袋に入れて店先に出しておくと、業者が毎朝、回収してくれる仕組みだ。さっきのホームレスは、こんな異臭がするタオルしか入っていない袋の中を漁って、可哀想やったな。

 俺は、どんだけ失敗してもホームレスにはならない気がするけど、それでも昨日と同じような失敗を繰り返したら、今の仕事を失う可能性がある。静かに去っていった山下さんや、一瞬で全てを失った西城のオッサン、決して他人事じゃない。シャッターを開けて、まだ誰も来ていない店内に入り、待合室のソファーに寝転がる。とりあえず、仮眠しよ。

「もう死にたい。」
「何をしてんねん!シズエ!」
「もう無理、こんな生活、無理。」
「なんやねん、どうしてん?」
「いやや、もう嫌や。」

 俺の方が、もう嫌やわ。ふた晩も寝てないんやで。ちょっとぐらい静かにしててや。

「百二十万も、振り込んだやろ。」
「お金だけで済ますんやね。」
「そんな言い方すんなや。」
「はいはい、ありがとうございました。」
「もう、ええわ。」

 家を出ていく一ヶ月前くらいから、シズエは自傷行為をするようになった。いわゆる、リストカットだ。はじめて見たときには、キッチンの床一面を真っ赤に染める血液に驚き、慌てて救急車を呼んだりもした。でも、人間というものは恐ろしいもので、どんなに恐ろしい光景も、見慣れる。だから、次第に驚きも小さくなり、血が固まる前に掃除をしようと、無意識に雑巾に手が行くようになる。

「私のことより、床の方が心配なん?」
「いや、ちがうやん。」
「なんで私のこと、見てくれへんの?」

 いつ意識を失ってもおかしくない程に、身体は疲れきっているのに、頭の中のシズエが語りかけてくるから、眠ることが出来ない。せめて二人が仲の良かった頃の思い出を頭に浮かべようとするけど、すべてが赤く染まり、またキッチンの床に広がる血液の映像が浮かぶ。

「もう死にたい。」
「何をしてんねん!シズエ!」
「もう無理、こんな生活、無理。」

「いやや、もう嫌や。」

 

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※この物語は、主人公の回想に基づき、だいたい8割くらい真実のフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません!とは言い切れません。

※夜の連続ブログ小説ということで、毎週月曜日から金曜日の夜8時(日本時間)に、最新話をアップいたします。毎晩読んでいただくのもよし、ある程度まとめて読んでいただくもよし、ご自由にお楽しみください。
 


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