この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第六十四話「無心」

time 2016/01/21

第六十四話「無心」
 内藤さんへの説教は、本当に朝の六時過ぎまで延々と続いた。会長の罵声は、夜明けまでボリュームが下がることは無かったが、内容は繰り返しが多くて「お前の考えるイベントは、芸がないねん。」という台詞は、ひと晩で三十回くらい聴いた。俺を引き合いに出して「田附なんかは、新しいのに、よう頑張ってる。」と何度も言われたのには参った。先輩の手前、かなり気まずい。でも、会長が俺の名前を覚えてくれたことは正直、嬉しかった。

 会長が「よっしゃ。そろそろ帰ろ。お前ら、明日も頑張ってくれよ。」と言った頃には、明日というのがいつのことを指しているのか分からない程度には、横に座っているだけの俺も疲れ切った。もう数時間後には店に入らないといけないけど、とりあえずシャワーを浴びるために自宅に戻る。

 玄関の扉を開けると、電話の呼び出し音が鳴っている。ほとんどの知り合いは携帯電話に連絡してくるから、誰だろうと訝しげに電話に出たら、シズエだった。

「昨日の夜も電話したけど、出えへんかったねぇ。」
「もう寝てたんと違うかな。」
「そう、仕事が大変やねんね。」

 頭のなかに住み着いているシズエとは毎日欠かさずに会話しているから、受話器越しの声に久しぶりだという感覚は無い。でも、数週間ぶりに聞く妻の声は穏やかで、ひとつ屋根の下で暮らしていた時のような嫌みな感じはしない。お互いに少し距離を置くべきだったのかもしれない。

「わたし、引っ越すことにしてん。」
「え?どういうこと?」
「京都に戻ることにしたの。」
「帰ってきてくれるんか?」
「違う。自分の部屋を借りて住むの。」
「そうなんか。」
「だから、百二十万円、振り込んで。」
「え?」
「わたしの口座は、分かるよね?」

 まさか電話の内容が、金の無心だとは、我ながら泣けてくる。シズエの実家は岡山県の田舎町だから、遊びにも買い物にも不自由な場所だ。きっと田舎暮らしに飽きて、京都に戻りたくなったんだろう。わざわざ別の部屋を借りるんだから、俺の近くに居たいという理由でないのは明らかだ。

「急に言われても無理やわ。ちょっと待って。」
「はい、スグじゃなくて良いから、ヒロくん、よろしく。」

 店長になって給料も倍増したし、オヤジの遺産を使い果たしたわけでもないから、払って払えない額でもないけど、置き手紙一枚だけを残して、勝手に家を出て行った嫁に、どういう名目なのかも分からないような金を払いたくない。

「愛してないから、払いたくないんでしょ。」
「そういう話と違うやん。」
「分かってるよ、ヒロくん。」
「いや、シズエは何にも分かってないって。」
「そしたら、払ってくれてもええやん。」

 受話器は切れているというのに、今度は頭のなかのシズエが、俺に対して無心してくる。脳の仕組みについて詳しいわけじゃないけど、何かを考えるときに使うべき脳のスペースの一部分をシズエに占拠されているようで、難しいことを考えようとしても、頭が回らない。すぐに脳の容量がいっぱいになってしまうようだ。

 部屋のリビングに居ても、道を歩いていても、電車に揺られていても、オフィスで事務処理をしていても、常にシズエに監視されていて、いきなり話しかけられるから、突然のシズエに身構えるために身体が強張り、緊張状態が続いている。もう二十四時間ずっと起き続けているし、今日は早めに仕事を片付けて帰ろう。

「おはよう。」
「お、これはこれは、田附店長。」
「あ、どうも、いらっしゃいませ。坂本さん」

 もう俺は人生の運を全て使い果たしてしまったんだろうか。どうして今日みたいな日に、五条署の坂本が来るんだ。いつ見ても、この茶色の上下のスーツを着てるけど、この人、これしかスーツを持ってないのと違うかな。俺ら風俗業を見下してる感じがムカつくけど、所轄の警察に目を付けられたら一巻の終わりだ。

「店長、従業員名簿を出してんか。」
「はい、少々お待ちください。」
「待たへん。ちゃっちゃと出せや。」

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※この物語は、主人公の回想に基づき、だいたい8割くらい真実のフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません!とは言い切れません。

※夜の連続ブログ小説ということで、毎週月曜日から金曜日の夜8時(日本時間)に、最新話をアップいたします。毎晩読んでいただくのもよし、ある程度まとめて読んでいただくもよし、ご自由にお楽しみください。
 


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