この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第六十一話「引っ越し」

time 2016/01/18

第六十一話「引っ越し」
 言い争いが絶えない日々から、沈黙の冷戦時代を経て、ついにシズエが家を出て行った。お互いに求め合った毎日は、僅か一年ほど前のことなのに、遥か昔のことのように感じる。店長になることが決まった夜を、受け取り人不明となったバラの花束が放り投げられたリビングで過ごした。

「ヒロくん、帰ってたんやね。おかえりなさい。」
「ただいま、シズエ。」

 振り返っても、誰の姿もない。ほとんど物置としてしか使っていない小部屋も、念のために電気を点けて、隅々まで確認してみるけど、やっぱりシズエの姿はない。

「何か食べたいもの、ありますか?」

「ロールキャベツとか、ええなぁ。」
「分かった。明日の夕飯を、お楽しみに。」

 家から出て行ってしまったシズエが、俺の頭のなかに住み着いているようだ。空耳というには、あまりにハッキリと、俺に話しかけて来るシズエの声が聞こえる。

「いってらっしゃい。」
「今日、ちょっと遅くなるで。」
「はい、ご主人様、かしこまりました。」

 シズエの声は明るく、とても心地が良い。実際には、随分と長い間、こんな爽やかなシズエとの会話なんてないんだけど、それでも元気なシズエの声が聴けるのは嬉しい。もうシズエの機嫌を損ねてはいけない。もう後悔はしたくない。怖い。

「店長、店長!」
「え?」
「田附店長、なにボーっとしてるんですか?」
「え、あ、いや。」
「ちょっと、変ですよ。」
「いや、店長って呼ばれ慣れてないからやって。」

 マネージャーの頃のように、身体を動かしたり、緊急の対応を要するような仕事が少なくなって、デスクワークが増えると、余計に考え事をする時間が増えて、ずっとシズエのことが頭から離れない。いや、本当にシズエが俺の頭のなかに引っ越したのではないかとさえ思う。

「若くて可愛い女の子に話しかけてもらえて嬉しいなぁ。」
「いや、だから、仕事やって。」
「じゃあ、嬉しくないの?」
「そら、嬉しいけど。」
「そっか、良かったね。」

 ご機嫌なシズエだけではなく、店の女の子への嫉妬に侵されたシズエも、同居している。シズエが、俺の脳内を監視していて、考えていることを見透かして、文句を言ってくる。これは今までよりもタチが悪い。俺に悪意がないことも、しっかり見てくれれば良いけど。

「新しいハルカちゃんが、お気に入りなんだ。」
「え、あくまで店長としてやで。」
「そうですか。お仕事大変ですね。」
「そんな言い方すんなや。」
「大変そうだから、大変ですねって言っただけやんか。」

 シズエの母親に電話をかけて取り次いでもらえるよう頼んだけど、本人が電話口に出る気がないらしく、断られた。仕方がないから、結婚式のときを含めて三回しか会ったことがないシズエのお姉さんにも電話をしてみたけど、早く電話を切りたそうな雰囲気が、受話器から漏れ伝わってきて辛いから、自分から諦めて電話を切った。

「わたし、ほんま友達少ないから。」
「俺が、ずっとシズエと一緒におるから、ええやん。」
「嬉しい。ありがとう、ヒロくん。」
「え、ええよ。お礼なんか・・・」

「店長、店長!」
「は、はい。」
「なんか店長、独り言が多いですよ。」
「ごめん、ごめん。どうした?」
「佐伯店長、いや、佐伯専務が来られてます。」
「あ、ほんまか。」

 俺がピチピチホームの店長となると同時に、佐伯店長はピチピチグループの三店舗を運営する会社の専務になった。買収したばかりの店舗の立て直しが忙しいらしく、俺の店に来てくれるのは久しぶりのことだ。

「おはようございます、専務。」
「おう田附、どうや、調子は。」
「帳簿がいっぱいあって、悪戦苦闘してます。」
「客とのトラブルはないか?」
「はい、特に目立ったのは、ありません。」

 月輪雷蔵会と明石組の抗争の影響からか、木屋町や祇園の夜の店で、暴力団絡みのトラブルが増えているらしい。京都で発生した銃撃事件が発端で、関西はどこでも大変な騒ぎらしいけど、あまり商売の邪魔になるようなことは止めて欲しい。

 俺は、性に関することなら、何から何まで全て興味があるねんけど、ヤクザとか暴力とかの世界には、ほんま全く関心ないねん。

「田附、明日の夕方から後、空いてるか?」
「はい、何も予定は入ってないです。」
「会長に挨拶に行くから、ついて来い。」
頭の中と世界の結婚
頭の中と世界の結婚

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未映子
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※この物語は、主人公の回想に基づき、だいたい8割くらい真実のフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません!とは言い切れません。

※夜の連続ブログ小説ということで、毎週月曜日から金曜日の夜8時(日本時間)に、最新話をアップいたします。毎晩読んでいただくのもよし、ある程度まとめて読んでいただくもよし、ご自由にお楽しみください。
 


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