この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第五十八話「トライ」

time 2016/01/13

第五十八話「トライ」
 酒の勢いがないと、うちへ帰ることが出来ない。シズエが、まだハルカだった頃に、初めて二人で酒を飲んだバーのカウンターに座り、マスターの咎めにも応じず、入れたばかりウィスキーのボトルを何本か飲み干す。酔わないと帰れない自宅ってなんだろう。
 
 玄関の扉を開けても、飛び出してくる我が妻の姿はない。リビングのソファに座ったまま、テレビから視線も外さずに、「おかえりなさい。今日も、お仕事は大変でしたか?」と、最大限の嫌みの感情を込めた出迎えを受ける。

「今日の新人ちゃんのサービスは、気持ちよかった?」

「仕事やから。気持ちいいとかと違うんやって。」
「じゃあ、気持ちいいこと無かったん。」
「いや、そら、気持ちはいいんやけど。」
「そっか。良かったね。」
 
 交際を始めてからの一年間、俺たち二人は共に仕事を続けた。周りに、特に佐伯店長に、悟られないようにと細心の注意を払って、一生懸命に仕事を頑張った。そして、ふたりだけのプライベートな時間を、夢中で楽しんだ。
 
 シズエと結婚することを俺の古い友人たちに報告したら、ほとんどの男から「風俗嬢と付き合ってて、何も思わんの?」「相手が接客してるの知ってて、嫉妬とか、せえへんの?」と聞かれていた。俺の場合、いわゆる職場結婚で、シズエが接客しているのと同じく、俺は俺で女の子の講習をしているし、悩み事の相談に乗ってあげる中で女の子と親密な関係になることも多い。だから、「仕事は仕事やし、お互い様やから、ええねん。」と答えていた。
 
 でも、結婚を契機として、シズエが風俗嬢を辞めてしまったことで、この両輪のバランスが一気に崩れた。結婚式までは、式場やドレスや新婚旅行と、考えなければならないことが山のようにあったから気が紛れていたんだろうけど、夫婦となった今、主人の帰宅を待つだけの日常の中で、シズエの頭の中では、新人の講習をしたり、親身になって相談を受ける俺の姿ばかりが浮かんでいるのだろう。
 
「新しい子の名前は、なんて言うの?」
「えっと、ハルカちゃんっていうねん。」
「はぁ?ハルカ?」
「そうやねん。たまたま偶然やで。」
「別の名前に変えられへんの?」
「いや、本人の希望やから、しゃあないねん。」
「ピチピチのハルカって言うたら、私のことやんか。」
「お前は、もうシズエやん。」
 
 言わないで良いことまで口を滑らせてしまうから、シズエの気持ちを逆撫でしてしまっているのは分かるんだけど、俺としては、絶対にシズエに嘘をつきたくない。あと、どうしてか分からないけど、俺が嘘をついているってことを、周りの人たちが簡単に見抜いてしまうので、あんまり嘘をついても意味がないっていうのもある。
 
「今度の水曜日、俺、休みやねん。」
「あ、そう。」
「どっか二人で遊びに行こうや。」
「うん。」
「どこが、ええかなぁ?」
「どこでも良いわ。」
「なんやねん。どこでも良いって。」
「ヒロくんに任せるっていう意味で言うただけやん。」
「今の言い方は、そうちゃうかったやろ。」
 
 今日も、シズエと同じベッドでは眠れそうにない。既に何日も、俺の寝床はリビングのソファだから、枕も、薄い掛布団も、準備万端だ。いや、本当はシズエが昼間のうちに、こういうのを寝室の方に戻しておいてくれたら、俺の方から「今日は一緒に寝ようか。」と言い出しやすいのに、そういう気遣いみたいなのが無いからアカンねん。
 シズエにもう一度、風俗の世界に戻れって言うことは絶対にありえへんけど、それでも、ハルカだった頃の幸せな二人が懐かしい。俺がお客さんを連れてハルカの部屋の前まで行って、お客さんに向けて満面の笑みを浮かべながら扉を閉めるハルカを見届けるのも辛かったけど、同じ屋根の下にいながら別の部屋で眠るのは、もっと辛い。
 
「ハルカちゃん。もう寝ましたか?」
「なに?私はシズエやけど。」
「あ、うん。」
 
 ラグビーボールのように枕を右手で抱えて、果敢にも寝室へとトライしようと、最後の力を振り絞って頑張った田附選手、あえなく惨敗です。
 
「おやすみ、ハルカ・・・。」
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※この物語は、主人公の回想に基づき、だいたい8割くらい真実のフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません!とは言い切れません。

※夜の連続ブログ小説ということで、毎週月曜日から金曜日の夜8時(日本時間)に、最新話をアップいたします。毎晩読んでいただくのもよし、ある程度まとめて読んでいただくもよし、ご自由にお楽しみください。
 


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