この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第五十一話「解雇」

time 2016/01/04

第五十一話「解雇」
 とてつもなく長い時間が流れた。俺は、あまりの恐ろしさに佐伯店長の顔を見ることが出来ず、ただ目の前のテーブルの上の一点を見つめていた。店長が、次の言葉を発した瞬間に、「すみませんでした!」と大きな声で謝ろう。喉にタンが絡んでいる気がするけど、怖くて咳払いさえできない。
 
 ハルカとの交際は、本当に事故のようなものだった。社員になった嬉しさで、ひとり祝杯を上げようと入った店で、偶然にハルカと遭遇して、酒の勢いも手伝って、良い仲になった。決して、店のナンバーワンに手を出したのではない。今も、ただひとりの女として、ハルカを愛している。

 店長からの質問には、すべて即答できるように、様々なパターンを頭のなかでシミュレーションする。もう煮られても焼かれても何も言い返すことは出来ない状況なので、嘘をつかずに、ただ正直に答えるだけだ。 

 俺がピチピチホームに入店したのは、風俗業界で成り上がると決めたからだった。面接のときに、「店長になりたい。」なんて言ったのも懐かしい。あっという間に社員にさせてもらって、さらにはマネージャーに昇格させてもらった。木屋町で最も活気のある店で働けたことは、俺にとって素晴らしい経験になった。この佐伯店長には、毎晩のように飲みに連れいってもらって、本当に楽しかったし、本当に勉強になった。
 
 それでも、ハルカと付き合ったことにも後悔はない。俺の帰宅を待っていてくれる人がいるから、仕事を頑張れたのもある。もしハルカがいなかったら、西城のオッサンに殴られまくっていた時期に、俺は店を辞めていたかもしれない。だから、仕方がない。
 
「はい、アメリカンひとつ、お待たせ。」
 
 喫茶店のくせに一杯のコーヒーを出すのに、めっちゃ時間がかかるやん。もう注文してから一週間くらい経った気がする。いや、なんかもう年を越したぐらいの長い時間だった気がする。コーヒーを注文してから提供されるまでの時間が、俺にとっては、とてつもなく長い時間に感じられた。
 
「田附、お前、いや、お前ら、凄いなぁ。」
 
 静寂の中に救いを求めようと、コーヒーを口にした瞬間、店長がボソっと呟いた。すぐに「すみません!」と言うつもりだったけど、口元のコーヒーカップが邪魔だし、そもそも「凄いなぁ。」と言われたのに「すみません!」と返すのも変だ。
 
「俺、まったく気づかんかったわ。」
「は、はい。」
「ずっと、半年以上も付き合ってたんやろ?」
「そうです。」
「お前、凄い。漢やなぁ。」
 
 一体、この人は何を言ってるんだ。普段は物静かに諭すように話す人だけど、さすがに店のナンバーワンとマネージャーが付き合っていると知ったら、激昂するだろうと思った。なのに、「凄いなぁ。」とか「漢やなぁ。」とか、やたらと感心している様子だ。
 
「ハルカが客をとってても、何とも思わんの?」
「まぁ、分かってて付き合ってるんで。」
「お前も、新人の講習とかするやん。」
「それも、仕事なんで。」
「ほんま全く気付かんかったもん。」
「あ、はい。」
「なんか、お前ら、凄いわぁ。漢やわぁ。」
 
 いや、その台詞を、そのまま返したい。どう考えても、明らかな裏切り行為のはずなのに、どうして平穏な顔をして、そんなことが言えるんだ。
 
「残念やけど、店は辞めてもらうで。」
 
 これは仕方ない。店の女の子に、しかも店のナンバーワンに手を出したんだ。怒鳴られもせず、殴られもせず、ただ静かに辞められるなら、ラッキーだと思うべき状況だ。
 
「綺麗に辞めて、伝説になってもらうわ。」
 
 たしかにスピード昇格ではあったけど、伝説とまで言われると、さすがに言い過ぎだ。あっと言う間に出世して、あっという間に解雇か。俺らしいと言えば、俺らしいな。
 
「シズエの分まで、頑張れよ。」
 
 ハルカの本名は、シズエだ。店で呼び間違えたら大変なので、普段から本名では呼んでいないから、あまり馴染みのない名前だけど。
 
「ハルカが引退して店の売り上げが下がったら、お前のせいやからな。」 
「はい、すみません。」
「ほな、仕事に戻るぞ。」
「え?」
 
 テーブルの上に千円札を二枚置いて、店を出て行こうとする店長の背中を見ながら、どうして良いのか分からず、席から立ち上がれずにいると、俺の方を振り返った店長が「はよ行くぞ。」と、いつも通りに声を掛ける。それでも、まだ俺は、店長の目を見つめたまま、立ち上がれない。
 
「なんやねん。」
「俺、クビと違うんですか?」
「アホか。お前、まだ店長になってへんやん。」

 

あべ静江 アンソロジー
あべ静江 アンソロジー

posted with amazlet at 16.01.04
あべ静江
ポニーキャニオン (2014-05-21)
売り上げランキング: 83,816

※この物語は、主人公の回想に基づき、だいたい8割くらい真実のフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません!とは言い切れません。

※夜の連続ブログ小説ということで、毎週月曜日から金曜日の夜8時(日本時間)に、最新話をアップいたします。毎晩読んでいただくのもよし、ある程度まとめて読んでいただくもよし、ご自由にお楽しみください。
 


sponsored link