この男、猥褻につき

夜の連続ブログ小説(ほぼ完全ノンフィクション)

第十七話「すっぽん」

time 2015/11/10

第十七話「すっぽん」
 咄嗟に「違うねん。」と言った。でも、窓の外にいるアキコの耳には届くわけがない。急いで窓を開けようとしたとき、アキコが「サイテイ」と言った。もちろん、アキコの声は聞こえないんだけど、間違いなくアキコは“最低”と言った。「誰?だれ?」と何度も繰り返すジュンコの声は無視して、ロックを下げて窓ガラスを開けるが、もうそこにはアキコはいない。

 言い訳を考えようとしても、何ひとつ良い答えが浮かんでこない。『探偵ナイトスクープ』に手紙を書いたら、もしかしたら優秀な探偵が派遣されて来て、素晴らしい答えを導き出してくれるかもしれないけど、もちろんそんな時間はない。さっき言った「違うねん。」の次の言葉が見つからないけど、とにかくアキコと話さなければならない。

 玄関の扉を開くと、目の前の廊下にアキコの後ろ姿が見えた。季節はずれのビーチサンダルを履いて玄関を飛び出し、名前を呼びながら追いかけるが、アキコは振り返ろうともしない。すぐに追いついてアキコの肩に手をかける。それでもアキコは、渋谷のナンパ師たちの誘いをあしらうかのように俺に目を向けることさえせず、手を振り払って足を進める。手を振り払った拍子に、アキコが持っていた紙袋から何かの液体が飛び出して、俺のズボンを濡らしたけど、それさえも気にする気配がない。

 アパートの建物を出ても、何も言葉を発することなく沈黙のまま足早に歩き続けるアキコと、「違うねん。」の続きが出てこないかと頭をフル回転させる俺。明らかに様子のおかしい二人に、すれ違う人々から不審の目が向けられるが、それに構っているような状況ではない。

 ミスタードーナツで初めてアキコを見たとき、その可愛らしさと美しさに、身震いがした。「この新作のドーナツ、甘いなぁ」と、初めてアキコに声をかけたとき、「ドーナツだからね。」のひと言しか返ってこなかったけど、ベッドに入るまで心が踊っていた。横浜中華街の聘珍樓で、初めてアキコと食事したとき、周りの視線がアキコに集まっているのを感じて、とても誇らしい気持ちになった。不慣れな手つきでキューを握るアキコ、学校の帰りの助手席でうたた寝をするアキコ、プレゼントの包みを嬉しそうに開けるアキコ、いつでもアキコは輝いていた。

 頭の中の引き出しを全て漁っても、今、アキコに向けるべき言葉が、何ひとつ見当たらない。もう何も出てこない。いくら探しても見つからないものは仕方がないから、「俺、アキコのこと、好きやねん!」と大声で叫んでみる。すると、初めてアキコの足が止まった。そして、ゆっくりと俺の方を振り返る。何も解決していないけど、安心感に満たされて、深い溜息をついた。

 しかし、振り向いたその女性は、アキコではなかった。いや、もちろんアキコには間違いないんだけど、俺がこれまでに見てきたアキコとはまるで別人の、無機質で、温かみのないアキコが、冷たい目で俺を見ている。その表情に、俺の心は折れた。すぐにアキコは前を向いて歩き始めたけど、追いかけることも、声をかけることも出来ず、ただ遠ざかっていくアキコの背中が見えなくなるまで立ち尽くすしかなかった。

 部屋に戻って、放心状態のままベッドに座り込んだ俺に、ジュンコが相変わらず「誰?だれ?」と身体を絡ませながら何度も聞いてくる。アキコの代わりになんて決してならないが、記憶のないまま行為だけを済ませたというのが無性に勿体無く感じてきて、うるさいジュンコを口づけで黙らせて、ベッドに押し倒して・・・というのが、いつもの俺なんだけど、そんな慰めの行為さえ欲することなく、ベッドに座り、泣いた。

 俺のズボンは、ベトベトに濡れている。俺の目からはずっと涙がこぼれ落ちているけど、ズボンが濡れているのは、涙のせいじゃない。さっきアキコの紙袋から飛び出した異臭のする液体のせいだ。初めは何かの嫌がらせで臭い液体をかけられたのかとも思ったけど、何度か匂いを嗅いでみて分かった。すっぽんのスープだ。俺の具合が悪いと聞いて、わざわざ買ってきてくれたんだろう。「ごめん、ごめん」と何度も繰り返し、スッポンスープのシミに向かって呟くけど、この声がアキコに届くことはない。

村上 すっぽんスープ 缶 180g 村上 すっぽんスープ 缶 180g

村上スッポン本舗
売り上げランキング : 7475

Amazonで詳しく見る by AZlink

※この物語は、主人公の回想に基づき、だいたい8割くらい真実のフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません!とは言い切れません。

※夜の連続ブログ小説ということで、毎週月曜日から金曜日の夜8時(日本時間)に、最新話をアップいたします。毎晩読んでいただくのもよし、ある程度まとめて読んでいただくもよし、ご自由にお楽しみください。 


sponsored link